ONODERA USER RUN執行役員山口 陽子

「周りと違う」はチカラになる

ONODERA USER RUN 執行役員 山口 陽子

ジェンダー、国籍、容姿、性格・・・誰一人として同じ人はこの世にいません。「周りと違う」ということは、時として生きづらさにつながることもありますが、すばらしい個性として輝くこともあります。

総合職として入社し、現在ONODERA GROUPの執行役員として活躍する山口 陽子。彼女も幼いころから、「周りと違う」ことを感じていました。そこにどう向き合いながら、現在のキャリアをつくり上げてきたのでしょうか。

 

海外に行きたい

幼いころの彼女の悩みは、「背が高い」ことでした。

山口「学生の時は男子にからかわれたこともしょっちゅうでした。それに性格も明るい方だったので、悩みがないように見られることが多かったです。もちろん人並みに、悩みもつらいこともあったのですが・・・」

そんな時に彼女の支えになったのは、従妹のあるエピソードでした。

山口「私の従妹がバックパッカーで、世界40か国を1人で周ったすごい人だったんです。その従妹に自分の悩みを話したら、『海外ではそんなこと言われないよ』って。みんな違いがあって、それを前提に生活していることを聞いた時に、『私も海外に行ってみたいな』と思いました」

一方で大学4年生になり、就職活動も考えなければいけなかった時期。ふと訪れた就活イベントで目にした「食べることは生きること」というキャッチフレーズに心をひかれ、足を踏み入れたのがLEOCのブースでした。

山口「体育会でバスケットボールをしていたこともあって、食べることの大切さをすごく感じていたんです。それに横浜FCのスポンサーをしていることも知って、『なんだか爽やかな感じだな』と(笑)」

その後、縁あってLEOCとあるベンチャー企業の内定を獲得した山口。母親の「自分が成長できると思う方に行きなさい」という助言もあり、より多様な事業を展開しているLEOCを選択。「海外に行きたい」という夢はひとまず心の奥にしまい込み、2009年に社会人生活をスタートさせました。

 

日々悩みながら前へ

事業所研修の後、ヘルスケア分野(病院など)の営業を担当することになった山口。持ち前の行動力が、存分に発揮されるようになりました。

山口「1日100件近くテレアポしたり、1日5件以上飛び込み営業したり。門前払いばかりでも、めげずに続けていました。でもなかなか結果が出なくて・・・」

しかし日々真摯に業務に取り組む中で、1年目ながらとある老人保健施設の受託契約を獲得。徐々に営業として頭角を現していきました。

山口「成約が決まった時、お客様に『半年後に連絡してほしいと言ったら、本当に半年後に連絡が来た。約束を覚えていてくれたんだね』とおっしゃっていただいたんです。それが嬉しかったですね」

その1年後には営業力の強化を目指していたJリーグ・横浜FCへ出向し、法人営業を担当することになりました。しかしここで、大きな壁にぶつかることになります。

山口「給食は形のあるものですよね。でもスポーツがつくる感動や興奮って形のないもの。極論を言えば日常生活になくてもいいものですし、勝ち負けもつきまといます。そこで相手の立場に立ちながら、横浜FCがつくる価値や想いをどうやって共有していくのか、そこが本当に難しかったです」

シーズン中はホームゲームの試合運営に携わりつつ、合間を縫って営業に従事する日々。なかなか結果が出ず、「今日は種まきの営業をしてきました」と弁解することも。また女性の営業として、心ない言葉を浴びせられることもあったといいます。

それでも厳しい環境の中、しっかりと誠実な仕事を貫きつづけ、後につながるホスピタリティを身につけていった山口。着実に地域企業の信頼を得られるようになってきた2015年、彼女にとって大きな転機が訪れました。

 

人生を変えた女将時代

山口「2013年に東京オリンピックの開催が決まって、そこからすごく悩み始めたんです。世界中の人が日本に来られる中で、何か貢献していきたい。そのためにはもう、今のうちに海外に行かなければと思うようになりました」

再び燃え上がった「海外に行きたい」という大きな夢。しかし当時28歳という年齢もあり、「正直周りの視線が痛かった」といいます。それでもあきらめきれず、彼女はついに退職を決断しました。

山口「でもその時、当時外食事業を担当していた上司からすぐに連絡が来たんです。『もし海外に行きたいのなら、「銀座おのでら」に来てくれないか』って。それでも退職をするつもりで両親に相談した時、『それだけ会社に貢献したからこそ、会社に必要としていただいているんじゃないの?』と言われたんです。そこでようやく、『この会社でできることをやってみよう』と踏みとどまることができました」

その後山口は半年間の研修を経て、「鮨 銀座おのでら」ハワイ店に女将として赴任。しかしアメリカは、決して単なる理想郷ではありませんでした。

山口「毎日がハプニングの連続でした。厨房機器が壊れてもなかなか修理に来なかったり、約束にルーズだったり・・・。またコミュニティが小さいので、ちょっとした噂でも尾ひれがついてすぐ広がってしまうんです。でもそうした経験を経て、自分の常識の範囲がすごく広がりましたし、ちょっとやそっとでは動じなくなりましたね」

彼女自身のコンプレックスも、大きな力に変えていけることを実感したといいます。

山口「アメリカでは、ビハインドが人生の深みに変わるんです。まったく後ろめたさがありませんでした。正直渡米の時に気にしていた年齢のことも、『年齢なんて関係ない。人生は何歳からだって変えられるよ』と言われて、すごく嬉しかったです。『何かをするのに遅すぎることはないんだ』って感じられましたし、本当に人生観が180度変わりました」

周りの風評に流されず、勇気をもって踏み出したからこそ、大きく変わった人生。彼女の劣等感は多様な価値観の中で、徐々に自信へと変わっていきました。周囲のサポートもあり、海外でも大きな信頼を集めるようになった山口。約5年の海外駐在を経て、執行役員として帰国することになったのです。

 

悩みを個性に変えて

帰国後は外食事業部の担当を経て、今年4月から山口はONODERA USER RUN(以下OUR、詳しくはこちら)の営業を担当することになりました。東南アジア4か国(ベトナム・フィリピン・ミャンマー・カンボジア)での介護人財教育と、特定技能による人財の紹介という、これまでとは毛色の違った仕事。しかし山口は、このチャレンジをとても前向きに捉えています。

山口「これまで仕事をする際に、『清潔感』や『相手との距離感を読む』『場の雰囲気を読む』ことを大切にしてきました。また女将時代には、大切な商談を成功させるための段取りを、お客様の立場に立って一つひとつ提案してきました。そうして常に心を砕いてきたホスピタリティが、これからはじまる営業の仕事にもきっと活かされていくと思っています」

また東南アジアで介護を学ぶ生徒たちをはじめ、多彩な人財が活躍する社風のなかで働けることも、大きな励みになっています。

山口「一緒に働く方たちは、性別や国籍、年代も多様です。私自身、ゆくゆくはまた海外で働きたいという想いがありますし、様々な方々と一緒に仕事をするなかで、まだまだ勉強させていただけると思っています。何より『日本で働きたい』という学生たちの想いを大切にしながら、これからの仕事に取り組んでいきたいです」

「女性なのに」「女性だから」という風評を反骨心に変えて、仕事にどん欲にチャレンジしてきた山口。女性の総合職として、その働き方にも気を配っています。

山口「日本の女性は、自分への期待値を低めに設定してしまいがちなのかなと思っています。そこから一歩踏み出して、自分の意見をしっかり伝えていくことが大切ですよね。また言うだけではなく、責任を持って周りを束ねられることも必要です。女性自身の意識と会社組織の改革が調和して、男女を問わず力のある人が会社を引っ張っていければと思います」

今や女性総合職のロールモデルとして、多くの後輩たちが目標とする山口。彼女だからこそ味わった悔しさや悩みは豊かな個性に変わり、多彩な人財が活躍するOURの中でもまばゆい輝きを放っています。

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